ハバゥの乱文
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人間
人間を人間足らしめているものはなんなのか。

普段はこの手の論議は、自己の正当性を探る為に往々にして用いられる手法であり、それらの話題は個人主義の許『各個が出すべき結論』と言う位置を確保せねば、自他の境界線から遠い物だと結論付けられてしまい、それを避けるべく安寧なオチを付加する。
では、自分から見た他者を人間足らしめている要素は何か。
隣にいる人間が本当に人間なのか、遠くにいるであろう人間が果たして人間なのか。
自分の正当性を投げ捨て、他者の正当性のみに注意を払い、他者の『内面/外面/歴史性/主義主張/出自』等を加味した上で、我らが他者を人間足らしめている物とは何か。

あり得よう筈も無い『共通性』にこそ、他者を人間足らしめている要素の根幹ではないかと考える。
指が一本足りなかった場合の社会的対応を考えて欲しい。
出身地、性別、宗教、身体的特徴、年齢、技能、醜美、その他沢山の差別的発想の根幹は、『自分とは違う』事に由来する。
勿論、それらの要素を自我が認めてしまっては、日常生活に支障を来すだろう。
生命体としての人間が、多分それを許さないのではないだろうか。

文明を発達させ、他者との共通性を情報形式で保存し、近代を経て現代社会と言われる時代になってはいるが、一体去年と何が違うのか、一体千年前とどう変わっているのか。
大昔から、自分とは違う事が、他者の人間としての立場を否定し、それによってお互いの違いを『差』という形式で上下構造に押し込み、生命体として存在しているが故に幻想に過ぎない筈の社会的格差を産む。

何を馬鹿なと思うだろうが、何を当たり前な事をと思うであろうが、理念上は理解していても、実践出来る人間などこの地上には存在し得ないだろう。
なぜなら、生命は根源的に他の生命と『形』が違うからだ。
ただし、他者とは違うのは極当たり前の事であり、特筆すべき所等何処にも無く、ありふれた側面である事を、人間以外の動物植物は根源で理解しているのかもしれない。
故に、それらの点を理解した上での競争原理は、生命としては当たり前なのだ。

人間を人間足らしめているものはなんなのか。
それは、多分、自分と他者が違うという『共通性』を生命体として忘却してしまう所に違いない。

犬に国境が無いのと、多分同じ仕組みで。
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by movesatnight | 2005-01-29 06:29 | 雑文系
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