ハバゥの乱文
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
百一匹ワンワン三銃士<意味無し
かなり昔の(といっても1800年代後半だが)アメリカに『プラグマティズム』という哲学思想が芽生えた。
荒っぽく言うと、行動の結果から、行動の思想概念の類いを逆算し、吟味しようと言う哲学技術だ。
のちに廃れて行くこの概念は、影響こそ与えられたものの、残りはしなかったようだ。

プラグマティズムは、時として優位に(そして素早く)僕ら人間の思想概念の結論を導き出してくれる様にも見える。
結論から理由を導き出すには、それらの辻褄が合っていれば、それで成立してしまうからだ。
しかし、もし、その推論が間違っていたら。
必ずしも正しくない僕らの選択から導き出される、それらの『結論』に一切の疑問を抱かなかったとしたら。
それは『結論』ではあっても、到底『真実』足り得ないのでは無いか。
『事実』から『結論』を導き出す行為は、社会性のある動物としては間違っては居ないのかもしれない。
が、その『結論』を吟味する過程は、そこに無いのだから、『真実』足り得ないのではないのだろうか。

プラグマティズムは後に、『道具主義(自者は他者とのつながりがある以上、存在にはそれを肯定するだけの外的理由があるという考え方)』にまで発展したそうだ。
僕の持っている本が例にしているのは『金槌は釘の為に、釘は塀の為に、塀は敷地の為に、敷地は〜』と続く。
しかし、『道具主義』は『何かは誰かの為に存在する』と云う処を根拠にした為に、理由の横這い進化は見えても、その理由の本質的な処には至らなかったようだ。
『思考は人間が天然自然に適応する為に』という処で根底を見直す必要があったのかもしれない。
[PR]
by movesatnight | 2004-05-08 05:31 | 雑文系
<< 携帯カメラ!! 一時間海洋物! >>


カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ

その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<シャクトリ